心霊現象
呪い、祟り、丑の刻参り
周辺住所
広島県庄原市東城町粟田3571(付近)
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心霊の噂
呪いの神として恐れられた『八反坊』、江戸初期に百姓から慕われた八反坊という名の人物が権力者や庄屋の圧力により捕らえられ、最終的に餓死によって亡くなったことが原因で庄屋は八反坊に呪われ、亡くなったという逸話が残されている。
詳しくは現地の説明版に書かれたものを読んでいただければ分かるが、強い呪いがあることから現在も丑の刻参りで訪れる者がおり、夜な夜な恨みを晴らすべく藁人形を釘で打ち付けているという。
江戸時代の初め、粟田に八反坊という人が住んでいました。
八反坊は年貢の割り当てや取り立てに当たっていた公事人といわれ、弱い百姓が分限者からいじめられるような事があると、いつも弱い人達に見方して助けていましたので、百姓達から大変慕われていました。
ところが反対に分限者達からは嫌われ、何とかして八反坊を亡き者にしようと、ある時、無実の罪をでっち上げ庄屋に訴えました。
庄屋もまた八反坊を快く思っていなかったので、ある日、ありもせぬ罪を着せて獄に入れ、村人を扇動せぬよう身を慎むよう迫りましたが、八反坊は聞き入れず、ついに餓死しました。
百姓達は、情深く、義に厚く、村人に慕われていた八反坊の遺言通り、庄屋の家の見えるこの地に、丁寧に葬りました。
それから庄屋には良くない事が続き、絶えてしまったという事です。
その後、お墓の上に祠が建てられ『八反坊』と呼んで、地元の人達が毎年お祭りを続けています。
一時期『呪い』の神として恐れられいた時期もありましたが、今は事業の成功、病気の全快、その他困っている人達を助けて願いが成就する事から、大願成就の神様として多くの人に親しまれています。
八反坊
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