心霊現象
死者が蘇る
周辺住所
京都府京都市上京区主計町1(付近)
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心霊の噂
堀川に架かる橋『一条戻橋』、平安京造営に伴って土御門橋という名称で橋は造られ、現在に至るまでの歴史の中で何度か橋は造り直され、その度に昔と変わらない同じ場所に橋を架けている。
この橋はあの世とこの世を繋ぐ橋と言われ、多くの逸話が残されているいう。
以下(引用)の現地にある案内板に書かれているもの以外にも出兵する前に無事に帰ってこれるように祈願し渡ったり、嫁入り前には縁起(離婚する)が悪い橋として避けられたり、禁教を破った26人のキリスト信者の耳たぶを豊臣秀吉がこの橋で斬ったなどの逸話も残されている。
安土桃山時代には島津歳久と千利休の首を晒されたと言い伝えられている。
延喜18年(918年)、文章博士・三善清行が亡くなった時、父の死を聞いた熊野の僧「浄蔵」が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていました。
浄蔵は柩にすがって泣き悲しみ、神仏に熱誠を込めて祈願したところ、不思議にも清行は一時蘇生して父子物語を交したという伝説から戻橋と名付けられたと言われています。
太平記、剣の巻によれば、その頃、源頼光の四天王の1人であった渡辺綱が深夜この橋の東詰で容貌美しい女子に「夜更けが怖いから送って欲しい」と頼まれたので、馬に乗せたら女はたちまち鬼と化し、渡辺綱が腕を切り落とした、と記されています。
また、一条戻橋は「あの世」と「この世」をつなぐ橋とも言われていました。
伝説では、平安時代の天才陰陽師として名高い安倍晴明の父である保名が殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所とも言われています。
以上のような歴史を持つ一条戻橋ですが、現在の橋は平成7年に新築されたものです。
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