住所
福島県耶麻郡猪苗代町西峰6199
詳細情報
| 参拝時間 | 自由 |
|---|---|
| 社務所/授与所 | |
| 電話番号 | settings_phone0242-62-4109 |
| ホームページ | https://iwahashijinja.jp/open_in_new |
| 主祭神 | 大山祇命、埴山姫命 |
| 創建時期 | 250年 |
磐椅神社のご由緒
会津はもとより県内外の人々から「いわきさま」と親しまれている社。十世紀に成立した全国の格式ある神社の一覧「延喜式神名帳」に耶麻郡一座としてあり、会津地方の伊佐須美神社(会津美里町)、蚕養国神社(会津若松市)とともに延喜式内社として信仰を集めた。 磐椅神社を信仰したのは徳川二代将軍秀忠の子で会津松平家初代藩主の保科正之。会津藩の礎をつくり、徳川四代将軍家綱の補佐役を務めた名君。その正之公は神道に深い関心を寄せ、神社の保護に力を注いだ。万治2(西暦1659)年、猪苗代湖が一望できる磐梯山のふもと見弥山にある当社に参詣して神事を行った。正之公は「我死せば磐椅神社の末社となりて永く奉仕せん」との遺言書を残し、末社として当社西側に土津大明神(土津神社)が造営された。正之公は奥の院の墓所に眠っている。 磐椅神社の起こりは応神天皇の御代(弥生時代)、神功皇后摂政五十(250)年。武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、国土開発の神とされる大山祇神と埴山姫命を磐椅山(現在の磐梯山)の頂上に鎮座された。磐梯山は明治二十一(1888)年の大爆発で変形したが、以前の山の形は整い、山頂は高く天に向かってそびえ立ち、石(磐)の梯(はしご)のように見え、まさしく「いわはし」の山だった。 その後、聖武天皇の御代(奈良時代)、天平元(729)年八月二十五日、磐梯山のふもと見祢山南麓に遷座し、相殿として品陀和氣命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を祭った。これらの神々は縁結び、豊作祈願、方除開運など全ての開発開運の神様として古来有名です。 村上天皇の御代(平安時代)の天暦元(947)年、勅使の派遣があり、その時に宸翰物(天皇自筆の書)と桜樹を奉献して社殿を修復した。この時の桜樹が大鹿桜である。花弁の中から葉が出るという珍しい桜で、見ごろは4月下旬から5月上旬。会津五桜の一つである。順徳天皇の御代の承元元(1207)年、猪苗代城主の三浦経連が現在の場所に旧社殿のまま遷座し、杉を植えてこれを鳥居杉と命名した。鳥居杉は2本あったが、西側の杉は落雷と長雨により昭和六十一(1986)年に倒れた。残った鳥居杉の幹には山桜が根付き「えんむすび桜」と命名された。見ごろは4月中旬から下旬。 現在の社殿は大正十(1921)年に建てられた。会津磐梯山は父なる山で母なる会津の里に豊作をもたらす神として人々の信仰のよりどころである。磐椅神社は会津の土着信仰に基づく神体山崇拝の社で、東北の文化的、精神的な一大支柱として今日にいたっている。
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