心霊現象
低く唸る声
周辺住所
福島県二本松市安達ヶ原4-198(付近)
表記されている住所は確定ではない場合がありますので、マップのピンを目的地に指定して下さい。
心霊の噂
鬼婆の墓である『黒塚(観世寺)』、昔、京都の公卿屋敷に岩手と言う名の乳母がいたのだが、子供が突然の重い病気にかかり完治方法として占い師から「妊婦の生き肝をのませれば治る」と聞き旅に出る。
安達ケ原の岩屋までたどり着き住まいにした。
ある日、生駒之助・恋衣という名の若夫婦が岩屋に訪れ、宿を探していたらしく泊める事にすると、その夜更けに恋衣は急に産気づき、生駒之助は現代の助産師である産婆を探しに岩屋を飛び出す。
この機会を逃がさずと岩手は出刃包丁を持ち出し恋衣の腹部を切り肝を取り出した。
恋衣は苦しんでる中、最後にこう語った「幼い時京都で別れた母を探して旅をしてきたのに、とうとう会えなかった...」と。
恋衣は亡くなり、ふと恋衣が持っていたお守り袋を見ると、それは岩手が生き別れた娘に渡したお守り袋だった。
自分の子供である事に気付いた岩手は激しく狂い鬼になり、それからは人間を殺害し、生き血を吸い続けたとされている。
心霊の噂は鬼婆の墓である塚から怨念が込められた低い唸り声が聞こえてくると言う。
陸奥の 安達ヶ原の 黒塚に 鬼籠もれりと 聞くはまことか
平兼盛の歌で有名な“安達ヶ原の鬼婆”の伝承は、細部が多少違うものもあるがおおよそ次のような展開となる。
岩手という名の女性が、とある公家に奉公していた。
その家の姫は幼い頃から不治の病であったために、岩手はその病を治すための薬を求めて各地を転々とした。
その薬とは、妊婦の腹の中にある胎児の生き肝であった。
やがて岩手は安達ヶ原の岩屋に潜み、標的となる妊婦が通りがかるのを待ち構えていた。
ある時、若い夫婦が岩屋に一夜の宿を求めた。
女は臨月の身重、しかも夫は用事があってそばを離れた。
岩手は女を殺すと、胎児の生き肝を取り出して遂に目的を果たした。
しかしふと女の持ち物に目をやると、見覚えのあるお守りがあった。
それは幼くして京に残した実の娘に与えたものであった。
今自分が手に掛けた女が我が子であることを悟った岩手は、そのまま気が触れて鬼となった。
そして岩屋に住み続け、旅人を襲ってはその肉を貪り食うようになった。
時が過ぎて神亀3年(726年)、紀伊国の僧・東光坊祐慶は旅の途中で日が暮れてしまったために、安達ヶ原の岩屋に宿を求めた。
そこは岩手が鬼と化して住み着く場所であった。
岩手は薪を拾いに行くので、奥を覗かないように言って外に出た。
祐慶は気になって覗くと、そこには累々と人骨が積まれており、ここが安達ヶ原の鬼婆の住処であると気付いて逃げ出した。
やがて戻ってきた鬼は、旅の僧がいないことに気付いて後を追い掛けた。
鬼は僧を見つけると、恐ろしい速さに追いつこうとする。
そしてもう少しで手が届くところとなり、祐慶はもはやこれまでと如意輪観音像を笈から取り出して経文を唱えた。
すると、観音像が天高く飛びたつや、光明を放ちながら白真弓に矢をつがえて鬼婆を射抜いたのである。
その後、祐慶は鬼婆の危難を救った如意輪観音を本尊として真弓山観世寺を建立したのである。
観世寺の境内には鬼婆が住んでいた岩屋や、出刃包丁を洗ったとされる血の池など、鬼婆伝説の舞台が残されている。
また宝物館には、鬼婆使用の出刃包丁などのおどろおどろしい道具や祐慶の使っていた錫杖などが展示されている。
観世寺から少し離れた川岸に「黒塚」と呼ばれる塚がある。
ここが射殺されて成仏した鬼婆を葬った場所とされている。
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