お祓い(神社・寺) 青森県

法霊山龗神社

ほうりょうさんおがみじんじゃ

住所

青森県八戸市内丸2丁目1-51


詳細情報

参拝時間 自由
社務所/授与所 8:30~17:00
電話番号 settings_phone0178-22-1770
ホームページ https://ogami-jinja.jp/open_in_new
主祭神 高龗神、法霊大明神
創建時期 創建不明

法霊山龗神社のご由緒

法霊山龗神社の起源には諸説あるが、元来八戸村柏崎地区(現在の八戸市中心地域全般の事)の産土神、そしてこの地域の農業用水などを賄っていた柏崎堤の守護神として創始されたお宮であるという説が有力である。この創建年代に関しては、大和朝廷による蝦夷征討以降、北東北の地に神社という概念が持ち込まれた頃にはすでに産土信仰は定着していたため、これを創建根拠とするならば後の武家による氏神信仰に由来する神社などよりも古くから存在していたと考えられる事が龗神社が市内で最も古くから存在したとする一つの理由と考えられている。この創建年代に関しては研究者や郷土史家の間でも見解が分かれており、産土信仰の誕生を類推して弥生期あたりからという説と、文化の流れを考えると飛鳥時代頃が妥当とする説があるが、龗神社では記録上判断できる平安期以前は不明であり、神社として説明できるのはそれ以降の歴史であるという立場をとっている。しかし、八戸の郷土史家の権威であり、龗神社総代を務めた正部家種康によると、龗神社が義経北行伝説において義経の正室が没した場所と伝えられるのは、公家の姫の品位や体裁に格別の配慮をした結果であり、北郊伝説が実話であっても創作であっても、公家の終着点として選ばれたのは当時から八戸地方において特別な神として存在し、またその由緒には公家の体裁に恥じる事無いものがあり、その一つとして最古の神という部分が重要であると述べている。創建当時、産土信仰は土着風習のようなものであったと考えられており、特に神社としての体裁と名前があったかどうかは不明である。その後堤の守護神となった頃には龗神社は岬社(三崎社、御崎社、御前社などと様々な表記がある)と呼ばれており、柏崎・京ヶ崎・八太郎崎の3つの崎に由来していると言われている。当時の鎮座地は現在よりやや南東方面(現在の八戸市内丸3丁目から柏崎方面あたり)に鎮座していたとされている。この頃にはまだ専門的な神職がお宮を守るという事はなく、地域の人々の産土信仰などにより支えられていたと考えられている。それから時代が鎌倉に移り、現在も神職を務める坂本家の7代目である「法霊」という修験者が、熊野や京都の聖護院などで修行の後、東北地方から青森県内様々な地域を説いてまわりながら八戸に戻った事から現在の龗神社としての縁起が始まっていく事になる。法霊が八戸に入った時、一帯は日照り続きで作物の栽培に深刻な影響が出ていたため、農民たちは雨乞い祈祷に優れた法霊に依頼し恵みの雨を願ったが、寝食を忘れた命がけの祈祷の甲斐むなしく雨を降らせることができなかったという。それに心を痛めた法霊は三崎社内の池に自らの身を投げ、自身の命と引き換えに雨を降らせてほしいと願った所、とたんに法霊の御霊が龍に化身し天に登り、にわかに空に暗雲が垂れ込めて恵の雨を降らせたと言い伝えられている。この御神徳に心から感謝した人々は御霊を三崎社に合祀して法霊明神と崇め、農耕・豊作・降雨晴天の守り神として祀ったとされている。なお、この頃三崎社は現在の内丸1丁目の辺りに存在していたとされており、その中にあった池に法霊は投身したものとされている。また京都の聖護院門跡には法霊が修験者として修行を行った記録が現在でも残っており、青森県内ならびに東北地方に点在する法霊(法領、法量など様々な表記がある)という地名は、八戸に至るまでの間に修験者の法霊が説いてまわった地域で、密接な関係があるそうである。江戸時代に入ると盛岡藩により再建され、盛岡南部氏・八戸南部氏双方の厚い崇敬のもと八戸城の館神として本丸内に遷座された。その後万治元年(1658年)南部藩2代藩主南部重直より20石の寄進を受けている。寛文4年(1664年)に八戸藩が成立すると、法霊大明神を本丸内より現在地に遷座して規模拡張を行い、藩神と崇めて御領内総鎮守とした。江戸中期の享保5年(1720年)、法霊社に祈願した結果豊作に恵まれたことへの感謝として、翌6年に法霊社の神輿を長者山虚空蔵堂(現長者山新羅神社)へ渡御して2日後に還御するという神事が執り行われた。この神事が現在の八戸三社大祭のはじまりである。八戸藩政期は藩主の祈願所として城内二の丸に鎮座していたので、藩主の居城が近いなどの理由から一般の領民が参拝できる神社ではなかったが、法霊社祭礼(現在の八戸三社大祭)の際は午前8時から午後4時までの間だけ一般領民の参拝が許され、境内は行楽を兼ねて弁当を持参した参拝者で賑わったという記録が書かれている(法霊御神事諸事覚)。現在は内丸という住所からもわかるように、藩政期時代から鎮座している八戸城二の丸内跡にそのまま鎮座している。そのため古くから城下で商いを敷いていた老舗商家をはじめ大手を含む企業の崇敬者が多く、龗神社は大手企業以外は相手にしないなどと揶揄されることもあるが、実際は他の神社と同じく個人も含め誰でも通常通りの参拝が可能である。





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