心霊現象
浮遊する生首、水面が赤くなる
周辺住所
山梨県甲州市大和町田野492(付近)
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心霊の噂
悲劇の舞台『姫ヶ淵』、織田・徳川の連合軍に敗北した武田勝頼公一族、勝頼公夫人北条氏の侍女16名は日川の淵に身を投じて殉死した。
自決した武将達も首洗い場で首を斬られ、その時の怨念が未だ残り生首が浮遊しているのが目撃されている。
天目山の上流では武田勝頼が自決を決めた時に土屋昌恒は勝頼の自決までの時間を稼ごうと織田軍相手に奮戦し千人斬りをしたとの逸話が残っている。
その時、下流を流れる日川は3日間血に染まったと言われ、人々はのちにこの川を三日血川と呼ぶようになった。
心霊の噂でも時々水面が赤くなるなどの話しがある。
天正10年(1582年)3月11日、甲斐の名門・武田氏は田野の地において滅亡する。
実質の当主である武田勝頼以下、嫡男の信勝、そして継室の北条夫人は、この地で自害して果てたのである。
北条夫人は甲相同盟の目的で、長篠合戦の後に武田家に嫁いできた。
典型的な政略結婚であり、織田信長による甲州攻めで武田家縁戚の武将までが数多く離反する中で、国許へ帰るよう勧められたとも言われる。
しかし、織田軍侵攻の最中に武田八幡宮に武田家の安泰を願う願文を奉納しており、居城であった新府城から落ち延びてから最期までそばにあって生死を共にした。
武田勝頼らが自害したとされる地に建立された景徳院の下を流れる日川には、姫が淵と呼ばれる場所が伝わる。
勝頼と共に落ち延びた北条夫人の身の回りの世話をしていた侍女16名も、武田氏の滅亡と共に命を絶ったとされる。
その侍女たちが死を選び、身を投げた場所が姫が淵である。
現在、景徳院の下にある駐車場には、大きな石のレリーフがある。
そこに刻まれているのが、北条夫人と16名の侍女の姿である(実際の姫が淵は日川のさらに上流あたりではないかとされる)。
この田野の地まで勝頼に付き従った者は、記録によると50名にも満たないという。
いずれもこの地で生涯を終えている。
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