心霊現象
祟り
周辺住所
茨城県常総市羽生町612-1(付近)
表記されている住所は確定ではない場合がありますので、マップのピンを目的地に指定して下さい。
心霊の噂
噺家や歌舞伎の演目で語られる『累ケ淵』、江戸時代の初期に現在の茨城県常総市羽生町で起きた実際を起きた殺害事件をもとに語られ、女性の怨霊とその除霊をめぐる物語は広く流布した。
心霊の噂は現段階では報告はされていないが、累ケ淵周辺で怪奇現象を経験した方はコメントをお願いします。
下総国岡田郡羽生村に、百姓・与右衛門と、その後妻・お杉の夫婦があった。
お杉の連れ子である娘・助は生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていた。
そして助が邪魔になった与右衛門は助を川に投げ捨てて殺してしまう。
あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累と名づけるが、累は助に生き写しであったことから助の祟りと村人は噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれた。
両親が相次いで亡くなり独りになった累は病気で苦しんでいた流れ者の谷五郎を看病し、二代目与右衛門として婿に迎える。
しかし谷五郎は容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てる。
正保4年8月11日(1647年)、谷五郎は家路を急ぐ累の背後に忍び寄ると、川に突き落とし残忍な方法で殺害した。
その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、尽く死んでしまう。
6人目の後妻・きよとの間にようやく菊という名の娘が生まれた。寛文12年1月(1672年)、菊に累の怨霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語り、供養を求めて菊の体を苦しめた。
近隣の飯沼にある弘経寺遊獄庵に所化として滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、累の解脱に成功するが、再び菊に何者かがとり憑いた。
祐天上人が問いただしたところ、助という子供の霊であった。
古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け戒名を与えて解脱させた。
法蔵寺には累を弔った墓があり、常総市の指定文化財になっている。
また、法蔵寺には祐天上人が解脱に用いたという数珠・累曼陀羅・木像なども保存されている。
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