住所
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152
詳細情報
参拝時間 | 自由 |
---|---|
社務所/授与所 | 9:00~17:00 |
電話番号 | settings_phone079-676-2465 |
ホームページ | http://ninomiya3.jp/open_in_new |
主祭神 | 天美佐利命、日子坐王命、日子穂穂手見命 |
創建時期 | 創建不明 |
粟鹿神社のご由緒
天平9年(737年)の『但馬国正税帳』では「朝来郡粟鹿神戸」について、租代は66束2把である旨のほか、調絁2匹4丈5尺を直稲165束で買い取る旨が記されている。なお但馬国の他の有力神社として、出石神社(豊岡市、但馬国一宮)の神戸では租代435束6把・調絁20匹4丈5尺(直稲1,245束)、養父神社(養父市、但馬国三宮)の神戸では租代145束5把・調絁6匹4丈5尺(直稲405束)であった。『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では当時の「粟鹿神」に神戸として但馬国から2戸が充てられている。国史では「粟鹿神」・「禾鹿神」の神階が承和12年(845年)に無位から従五位下、貞観10年(868年)に正五位下、貞観16年(874年)に正五位上にそれぞれ昇叙された旨が見える。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では但馬国朝来郡に「粟鹿神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また『延喜式』臨時祭 名神祭条では名神祭二百八十五座のうちに粟鹿神社一座が見える。平安時代中期の『和名抄』に見える地名のうちでは、当地は朝来郡粟鹿郷に比定される。天正年間(1573-1592年)には豊臣秀吉により社領を没収されたのち、慶長元年(1596年)に粟鹿村内から33石余が与えられている。明治維新後、明治5年(1872年)に近代社格制度において郷社に列し、明治12年(1879年)には県社に昇格した。1999-2004年度(平成11-15年度)には境内付近(粟鹿遺跡)において春日和田山道路(北近畿豊岡自動車道)建設に伴う発掘調査が実施され、粟鹿神社関連と見られる古代の公的施設(着到殿か)や中世の石敷参道が検出されている。
お祓い(神社・お寺)マップ