住所
広島県廿日市市上平良308-1
詳細情報
参拝時間 | 自由 |
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社務所/授与所 | 8:00~17:00 |
電話番号 | settings_phone0829-38-0822 |
ホームページ | https://hayatanijinja.jp/open_in_new |
主祭神 | 飽速玉男命 |
創建時期 | 創建不明 |
速谷神社のご由緒
鎮座の年代は詳かではないが、千七百有余年の古社である。嵯峨天皇の御代、弘仁2年(811年)名神に列し、清和天皇の貞観元年(859年)、従五位上であった神階を従四位下に進め、同9年(867年)には従四位上に進める。醍醐天皇の延喜5年(905年)の『延喜式神名帳』には「安芸国佐伯郡 速谷神社 名神大 月次 新嘗」として記載されて名神大社に列し、国家鎮護の神社として毎年月次祭、祈年祭、新嘗祭の三祭に神祇官の奉幣に預かった。このように朝廷から篤く崇敬された。延喜式所載の安芸国三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)の中では当社だけがこの殊遇をうけ、安芸・備後国はもとより、山陽道でも最高の社格を誇った。朱雀天皇の承平5年(935年)、藤原純友の乱に、朝廷は騒乱の平定を速谷神社など全国十三社に祈願され、まもなくその乱が鎮定したので、神階を正四位下に進められた。古くは安芸国の一宮であったとされるが、厳島神社が平氏に崇敬されるにつれて当社は厳島神社の摂社に数えられ、安芸国二宮と称されるようになった。室町時代からは安芸国桜尾城主だった藤原親実以下歴代の城主、戦国大名の大内義隆、毛利元就、さらに広島藩主、浅野光晟以下の歴代藩主らが速谷神社を篤く崇敬して、神宝・社領を寄進し、社殿の造営と修復を行った。大正13年(1924年)近代社格制度において国幣中社に列格。昭和21年(1946年)官制廃止により、神社本庁所属の別表神社となった。
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