お祓い(神社・寺) 埼玉県

川越八幡宮

かわごえはちまんぐう

住所

埼玉県川越市南通町19-3


詳細情報

参拝時間 自由
社務所/授与所 9:00~17:00
電話番号 settings_phone049-222-1396
ホームページ https://www.kawagoe-hachimangu.net/open_in_new
主祭神 誉田別命
創建時期 1030年

川越八幡宮のご由緒

当社・川越八幡宮は第68代・後一条天皇の時代の長元3年(1030)に甲斐守源頼信によって創祀されたと伝えられています。長元元年(1028)、下総国(千葉)の城主前上総介平忠常は朝廷に謀反を企て、安房、上総、下総の3カ国を従わせ、大軍を起こして武蔵国に攻め入りました。この乱は長元の乱と言われ、3年に渡り鎮圧できませんでした。有力武士だった冷泉院判官代甲斐守源頼信が長元3年に平忠常追討の倫旨を賜りました。当時このあたりは豪族河越氏の所領で鎌倉時代、神社後方に河越氏の館がありました。応永32年(1425)には、関東管領足利持氏河越兵庫助の館跡地の半分を当神社に日供料として寄進したといわれています。長禄元年(1457)、川越城が完成しました。築城の名手だった太田道灌は当神社を篤く崇敬し、分霊を川越城内の守護神として奉斎しました。爾来、川越の歴代城主、城代の崇敬が深く、特に天正18年(1590)以来の城主・酒井氏一族の崇敬はすこぶる篤く、社殿の造営、神田、神宝の寄進が相次ぎました。酒井氏は国替後も崇敬を加え、しばしば改築費、修繕費等を奉納しました。文化9年7月1日(1812)、姫路城主・酒井雅楽頭源朝臣忠衛は御神号「河越八幡宮」(文字は向鳩形)の額と掛物一幅を奉納しました。寛永2年(1625)には、徳川家光公が日光社参の折、酒井備後守忠利が道中安泰の祈願をし、その功により葵紋付祭器具の寄進がありました。明治維新の際には、別当万蔵寺を廃しましたが、川越城主の地の人々は当社を川越の守護神として崇敬しています。昭和51年秋に、当社は埼玉県にて一社、神社本庁第一次神社振興対策モデル神社に指定されました。創建から約1000年、今も変わらず当社は篤い崇敬を受け、関東一円より多くの皆様からご参拝をいただいております。



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