住所
新潟県新潟市中央区西船見町5932-300
詳細情報
参拝時間 | 自由 |
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社務所/授与所 | 9:00~16:30 |
電話番号 | settings_phone025-229-4345 |
ホームページ | https://www.niigata-gokoku.or.jp/open_in_new |
主祭神 | 新潟県出身の国事殉難者 |
創建時期 | 1868年 |
新潟縣護國神社のご由緒
鳥羽・伏見の戦いから始まり、やがて全国各地に広がった戊辰戦争は新潟市も例外なく激しい戦場と化した。西軍(薩摩、長州ら新政府軍)と東軍(米沢、会津、庄内)の両軍に多数の戦死者が出て尊い命が失われた。1868年(明治元年)の10月に新政府軍(西軍)側戦死者の墓碑を常磐ケ岡(旧新潟大学本部の跡地)に設置され、戊辰戦争の官軍戦没者416柱を祀って社殿を造立し新潟招魂社として祭られた。1875年(明治8年)に官祭招魂社に改称した。 1941年(昭和16年)7月に内務省令により、官祭招魂社から護國神社と改称した。 移転候補地として、当時の新潟市と新発田町、高田市で激しい招致運動が繰り広げられたが、1941年(昭和16年)に新潟市に決定した。 1942年(昭和17年)6月から西船見町への移転作業が始まり、延べ25,000人の動員により1945年(昭和20年)5月に移転が完成した。1985年(昭和60年)旧新潟大学本部跡地から東軍戦死者のものと思われる92体分の遺骨が発見され、護國神社敷地内にある「戊辰役殉難者墓苑」に埋葬されて、1987年(昭和62年)に「戊辰役東軍慰霊碑」を建てた。
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