お祓い(神社・寺) 鳥取県

大神山神社本宮

おおがみやまじんじゃほんぐう

住所

鳥取県米子市尾高1025


詳細情報

参拝時間 自由
社務所/授与所
電話番号 settings_phone0859-27-2345
ホームページ http://www.oogamiyama.or.jp/open_in_new
主祭神 大穴牟遅神
創建時期 創建不明

大神山神社本宮のご由緒

大神山とは、神社が鎮座する「大山(だいせん)」の古い呼び名です。大山が文献に登場する最初の書物は、八世紀(奈良時代)前半に編纂された「出雲国風土記」で、国引きの条の中に「國に固堅め立てし加志は、伯耆国なる大神岳是なり」と国を引き寄せる綱(鳥取県の弓ヶ浜半島)をつなぎ止める杭として、伯耆国の「大神岳(火神岳)」として出てきます。ちなみに今のように大山と呼ばれるようになったのは平安期以降と思われます。中国地方の最高峰であり、独立した優美な山容を持つ大山は、神の宿る山として古くから人々の信仰を集めてきました。ふもとに暮す人々はもとより、海を渡ってきた人々からもその神々しさは格別なものが在ったに違いありません。主祭神の大己貴命は大山を根拠地として国土経営の計画をお立てになりました。「神祗志料」左比売山神社の条には「云々、昔大己貴命、少名彦名命、須勢理姫命、伯耆国大神山に御坐、出雲國由来郷に来坐して云々」と書かれており、大山の山頂に立って雲の上から草昧の国土を見下ろし国見をされて国造りを相談なされたと伝えています。大山にいつ頃から神社があったのかはわかりませんが、古来信仰を集めていた大山において、頂上を拝める中腹に遙拝所(磐座・磐境等)を設けたのが始まりと思われます。こうした山そのものをご神体として崇めることは日本各地によくあったことで、多くは本殿を持ちませんでした。なぜならば古来の日本の信仰では神様が宿られるのは自然そのものであり、特別にお入りいただく建物は必要なかったからです。伝承によれば大神山でも建物が建ち始めたのは崇神天皇あるいは応神天皇の御代とも言い伝えられておりますが、遙拝所に付随する簡素なものであったと思われます。仏教の影響のもとに本格的な社殿が建てられるようになったのは平安期頃からです。なおその後も本殿は無く、本殿が建てられたのは江戸時代(1701年)になってからです。 奥宮の社殿は寛政八年(1796)に火災に遭って消失し、現在の社殿は文化二年(1805)に再建された物です。この社殿は本殿・幣殿・拝殿が一体化し、それに長廊がT字型に付くという独特の形をしており、内部は権現造で柱・長押には金箔に似せた白檀塗りという技法で彩られ、側面には天女の壁画、格天井には花鳥風月が描かれています。昔はこの拝殿には神官僧侶等特別な人以外には入れず、一般の人々は長廊までで参拝していました。



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