住所
埼玉県熊谷市三ケ尻3712
詳細情報
参拝時間 | 9:00~16:00 |
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寺務所/授与所 | |
電話番号 | settings_phone048-532-3432 |
ホームページ | https://yakuyoke-kaiun.jp/open_in_new |
御本尊 | 厄除け金色大師、開運金色大師 |
山号 | 少間山 |
院号 | 観音院 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
開山・開基 | 心海法印、小此木紀伊守 |
創建時期 | 1558~1570年 |
龍泉寺の宗派(真言宗豊山派)
真言宗豊山派の歴史は長谷寺の開創に始まる。長谷寺の創建は奈良時代と推定されるが、詳しくは不明である。寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立。神亀4年(727年)には徳道が東の丘(現在の本堂の地)に十一面観音像を祀って開山したとされるが、伝承の域を出ない。承和14年(847年)12月21日に定額寺に列せられ、天安2年(858年)5月10日に三綱が置かれたことが記され、長谷寺もこの時期に官寺と認定されて別当が設置されたとみられている。長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。長谷寺は東大寺の末寺であったが、平安時代中期には興福寺の末寺となり、16世紀以降は覚鑁によって興され頼瑜により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。天正16年(1588年)、豊臣秀吉の根来寺攻撃で根来寺を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により真言宗豊山派が大成される。明治政府の宗教政策により、他の真言宗宗派と1879年(明治12年)に合同する。しかし、1900年(明治33年)9月、長谷寺を本山とする新義真言宗豊山派として独立する。1941年(昭和16年)3月、古義真言宗・新義真言宗系の宗派が政府の政策によって合同し、大真言宗が成立する。が、戦後独立し、 1952年(昭和27年)に真言宗豊山派として法人登記を行っている。
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