住所
滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1
詳細情報
参拝時間 | 自由 |
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社務所/授与所 | 9:00~16:30 |
電話番号 | settings_phone0748-46-3564 |
ホームページ | http://sasakijinja.or.jp/open_in_new |
主祭神 | 少名彦神 |
創建時期 | (伝)神代 |
沙沙貴神社のご由緒
神代に少彦名神が小豆に似た豆のサヤである「ササゲ」の船に乗って海を渡り、当地に降り立ったという。このことからこの地は「ササキ」と呼ばれるようになり、その地に少彦名神を祀ったことが当社の始まりであるという。古代に沙沙貴山君が大彦命を合わせて祀り、景行天皇が志賀高穴穂宮への遷都に際して大規模な社殿を造営させたと伝わる。平安時代には近江国蒲生郡の式内社となっている。宇多源氏の源成頼がこの地に土着するようになると、孫の佐々木経方が佐々木氏と称するようになった。そして、もともとこの地に住んでいた沙沙貴山君の子孫である沙沙貴氏と次第に融合していくと、沙沙貴氏の氏神であった沙沙貴神社に宇多源氏の祖である敦実親王とその父・宇多天皇を新たに合祀し、自らの氏神とした。以降当社は宇多源氏とも近江源氏とも呼ばれる佐々木氏の氏神とされ、子々孫々が篤く崇敬するようになった。戦国時代、この地を治めていた佐々木氏の嫡流・六角氏は織田信長によって放逐され、当地は信長の支配下に入った。後には信長の居城である安土城が付近に築城されたが、当社は破却を免れて維持されている。江戸時代の天保年間(1831年 - 1845年)に火災によって社殿が焼失するが、弘化5年(1848年)に丸亀藩主京極高朗により本殿、権殿、拝殿、楼門などが再建された。その際、水原源四郎俊勇が棟梁となって平安時代、鎌倉時代の様式で再建が行われている。それらの建物はいづれも滋賀県指定有形文化財となっている。明治時代になると、当社は県社に列せられている。婆沙羅大名の佐々木道誉、信長に徹底して反抗した六角義賢、当社を再建した京極高朗の他、日露戦争での203高地の戦いで有名な乃木希典も佐々木一族である。現在も宇多源氏佐々木氏は、六角氏、京極氏、朽木氏、黒田氏、三井家など220余姓の末裔の篤い信仰を集めている。
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