お祓い(神社・寺) 大阪府

大本山七宝瀧寺

だいほんざんしっぽうりゅうじ

住所

大阪府泉佐野市大木8


詳細情報

参拝時間 (平日)開門7:30~閉門16:30 (土日祝日)開門7:30~閉門17:00
寺務所/授与所 8:00~15:00
電話番号 settings_phone072-459-7101
ホームページ https://www.inunakisan.jp/open_in_new
御本尊 倶利伽羅大龍不動明王
山号 犬鳴山
院号
宗派 真言宗犬鳴派
開山・開基 役行者
創建時期 661年

大本山七宝瀧寺の宗派(真言宗犬鳴派)

斉明天皇7年(661年)、役小角によって大峰山山上ヶ岳が開かれる6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれている。古くは犬鳴山を含む和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場である。平安時代初期、大干ばつに見舞われた際に雨乞いを祈願して雨が降り、それを知った淳和天皇が「七宝瀧寺」と名付けたという。宇多天皇の時代、寛平2年(890年)3月、紀伊国の猟師がこの山域で狩りをしていた際、突然連れていた犬が激しく鳴き出し、結果猟師が射ようとしていた鹿が逃げてしまった。怒った猟師は犬の首をはねたのだが、その首はそれでも飛び跳ね、今まさに猟師に襲いかかろうと狙っていた大蛇に噛み付いた。犬は、主人が大蛇に狙われていることを知って鳴いていたのであった。愛犬に救われたと気付いた猟師はこれを悔いて七宝瀧寺の僧となって愛犬を供養した。 このことを聞いた宇多天皇はいたく感動し、七宝瀧寺に『山号を「いぬなきさん」と改めよ』と勅号を賜った、と伝えられている(義犬伝説)。南北朝時代の正平17年(1362年)、南朝方の橋本正高が志一上人(至一上人とも)を犬鳴山に招いて不動堂を建立して中興し、さらに塔頭14坊が創建された。当寺は室町時代には熊野信仰と葛城修験道の隆盛にしたがって20坊の坊舎を有するようになり、本堂の修復も行われて栄えた。しかし、戦国時代になると織田信長に寺領を没収され、天正13年(1585年)には豊臣秀吉の根来攻めによって本堂以外の堂舎が焼き払われ、一時は廃絶同然となった。だが、後に秀吉の寄進によって滝本坊が再建され、御供米として30石が寄進されている。江戸時代には岸和田藩主岡部行隆より新田五反の寄進を受けるなどして、ほぼ今日見られるまでに復興した。近世初頭の「口上覚」によると、毎年5月に高野山から葛城巡行する先達たちは犬鳴山に7日間留まり柴焼護摩を修したといい、「葛城山中で七日間も逗留するのはここだけだ」と述べられており、いかにこの山の地位が高かったかをうかがわせるものとなっている。明治時代になると廃仏毀釈で被害を受けた上に修験道が禁止され、当寺は著しく衰えたが、明治時代後期には再興した。1950年(昭和25年)8月7日には真言宗犬鳴派を設立し、葛城修験道の根本道場として修験道総本部を設置した。



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