住所
岩手県二戸市福岡五日町29
詳細情報
参拝時間 | 自由 |
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社務所/授与所 | 9:00~16:00 |
電話番号 | settings_phone0195-23-2042 |
ホームページ | http://tonkouinari.blog.jp/open_in_new |
主祭神 | 宇迦廼御霊命 |
創建時期 | 801年 |
呑香稲荷神社のご由緒
当社は延暦20年(801年)に出羽国(現在の山形県)の大物忌神社(おおものいみじんじゃ)を勧請し浄法寺村稲庭嶽に祀ったのが始まりと言われています。貞元親王(清和天皇の第三皇子)の孫にあたる源重之の母親が託宣により宮野の里に遷座し稲荷大神と称えていましたが、九戸政実と豊臣軍の戦いがあり、戦乱を避けていったん津軽に遷座しました。宮野落城により、別城である松の丸を修理増築して二十六代南部信直公が移られ宮野は福岡と改められました。稲荷大神は二戸郡漆沢村に御遷幸となりました。二十七代利直公の時、秋田城之介の家臣であった小保内源左衛門が主家没落のため今の盛岡市仙北町で南部家に仕えていましたが、もともとの南部家臣たちから後ろ指をされるのに憤慨し北に向かいました。二戸郡漆沢村に至った際、その夜に霊夢がありました。稲荷大神より宮野の地に祭るよう信託をうけた源左衛門は翌朝福岡城下に赴き、三日町(現在の五日町)が清浄の地としてふさわしいと考え、一祠を建立しました。そして、天和2年(1682\年)、2月3日の夜に遷座となりました。そのころ、南部氏の幼君が疱瘡を病みましたが、幼君は枕元に白髪白衣の老人がありて我を看護せり、この老人は稲荷大神なり決して心配すべからずと話しそれから南部氏の稲荷大神への崇敬がいよいよ厚くなりました。天和3年(1683年)に呑香稲荷大明神の神号を受けています。神号を受けて以来、代々の南部藩主が崇敬しました。中山より北の総鎮守として、農業・商業・漁業・工業の守護神として厚い信仰を受けてきました。
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