住所
広島県広島市中区本川町3丁目3-2
詳細情報
参拝時間 | 自由 |
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社務所/授与所 | 9:00~17:00 |
電話番号 | settings_phone082-231-4476 |
ホームページ | https://www.sorasaya.or.jp/open_in_new |
主祭神 | 宇迦之御魂神、宇気母智神、和久産巣日神 |
創建時期 | 天文年間(1532~1555) |
空鞘稲生神社のご由緒
古書に「空鞘神社の縁起は甚だ古く 勧請の年紀詳らかにするも由無なきも後陽成天皇の御宇豊臣秀次未だ関白たりし文禄元年壬辰の歳 毛利輝元陰陽両道に跨る大守として広島城郭の築城を告ぐるの時枯萩寒草の間此の地に二社あり 大を空鞘大明神 小を彦山明神(現在の幸神社)という」とあります。この他の私記等の諸書によれば天文年間(1532~1555)の御創建と伝えられています。その後隆興の一途をたどり 毛利氏の崇敬なかなか篤くかなりの社領をも有していました。延享(1744~1747)、明和(1764~1771)の二度火災に遭いましたが、その都度復興を果たす。明治5年(1872)、社格を村社に列せられる。明治40年(1907)、神饌幣帛料供進社(しんせんへいはくりょうきょうしんしゃ)に指定大正8年(1919)、社殿を新築を神域を拡大、当神社より舟入南まで、及び中島、吉島一円の氏神となる。昭和20年(1945)、8月6日に投下された原子爆弾によりすべて灰燼に帰しましたが、同28年(1953)10月に復興。昭和50年(1975)、神楽殿造営。昭和58年(1983)、御鎮座450年祭を齋行。平成15年(2003)、社殿の大改修及び屋根の葺き替えを経て現在に至る。また「空鞘」の名は社頭の松の大木に刀の鞘のみが掛って居た事によりその社名となったと伝えられており昭和40年(1965)の町名改正まで神社周辺は空鞘町と称していました。
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