住所
秋田県秋田市千秋公園1-16
詳細情報
参拝時間 | 自由 |
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社務所/授与所 | 8:00~18:00 |
電話番号 | settings_phone018-832-4496 |
ホームページ | http://www.iyataka-jinja.jp/open_in_new |
主祭神 | 神霊真柱大人命、佐藤信淵 |
創建時期 | 1881年 |
彌高神社のご由緒
秋田出身の国学者・神道家である平田篤胤(安永5年8月24日<1776年10月6日> - 天保14年閏9月11日<1843年11月2日>)を顕彰し崇敬するため、平田門人であった小谷部甚左衛門らの有志が、南秋田郡寺内村(現・秋田市)の日吉八幡神社境内に平田篤胤を祀り創建した「平田神社」を母体としている。小矢部は日吉神社の祠官で、明治14年(1881年)8月13日、針生源太郎・山中新十郎・桜田誠一郎・羽生氏熟とともに日吉神社境内に平田神社を創建することを秋田県令石田英吉に願い出、それに対し石田県令は同年8月26日付けでこれを認めた。平田神社の社殿建設にあっては全国の平田門人がかかわっており、明治15年2月の県令あて嘆願書に名をつらねたのは、久保悳鄰、師岡正胤、古川豊彭(以上、東京府士族)、吉岡徳明、渡辺玄包(山口県士族)、久保季茲(東京府士族)、 井上頼圀(東京府平民)、 丸山作楽(長崎県平民)、 矢野玄道(愛媛県士族)の9人であった。この嘆願書は平田神社に対して特別の恩典を求めるもので、これに対し石田県令は、翌3月に金100円を下賜している。明治42年(1909年)に至り秋田県教育会が中心となり久保田城内の正八幡社(旧県社八幡神社)を購入のうえ修繕し、佐藤信淵を合祀、彌高神社と改称した。大正5年(1916年)に現在地へ移築され、大正8年(1919年)には県社に列せられた。明治時代創建の神社であるが社殿が江戸時代の建築であるため、権現造の形式をとっている。
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