基本情報
- 住所
- 愛媛県喜多郡内子町知清373-1
- 本尊
- 毘盧遮那仏
住所
愛媛県喜多郡内子町知清373-1
所在地マップ
施法寺の宗派(華厳宗)
華厳宗は、『大方広仏華厳経(華厳経)』を所依の経典とする仏教宗派で、日本では奈良時代に成立した南都六宗の一つに数えられる。現在は奈良県奈良市の東大寺を大本山とする。
華厳の教えはインドで成立した『華厳経』をもとに中国で研究・体系化され、唐代の法蔵らによって華厳教学として大成した。その教えは中国だけでなく朝鮮半島や日本にも伝えられた。
日本では奈良時代に華厳教学が伝えられ、東大寺の前身となる金鍾山寺で『華厳経』の講義が行われるなど、その研究が盛んになった。東大寺の初代別当となった良弁も華厳の教えと深く関わり、聖武天皇による東大寺建立と盧舎那大仏造立へとつながっていった。
743年(天平15年)、聖武天皇は盧舎那大仏造立の詔を発し、749年(天平勝宝元年)に大仏の仏身が完成。752年(天平勝宝4年)には盛大な開眼供養会が行われた。
東大寺の本尊である盧舎那仏は『華厳経』の教主であり、智慧と慈悲の光であらゆるものを照らす仏とされる。華厳の教えでは、この世界に存在するあらゆるものは互いに関わり合い、無限につながっていると説かれている。奈良の大仏は、その壮大な華厳の世界観を象徴する存在でもある。
『華厳経』には、菩薩が悟りへ至る修行の段階などが説かれているほか、「入法界品」では善財童子が真理を求め、さまざまな善知識を訪ね歩く物語が描かれている。
奈良時代の東大寺は華厳だけを学ぶ寺院ではなく、華厳をはじめとする南都六宗の研究所が設けられ、後には天台・真言も加えた「八宗兼学」の学問寺として発展した。
その後、東大寺は戦乱や火災によってたびたび大きな被害を受けたが、その都度復興が行われた。明治時代には神仏分離や寺社領没収などによって存続の危機を迎え、宗制上「華厳宗」を名乗るなどの寺院改革が行われた。
現在も東大寺は華厳宗の大本山として『華厳経』の教えを伝えており、奈良の大仏として知られる盧舎那仏とともに、日本を代表する仏教寺院の一つとなっている。
施法寺(東大寺末寺)の宗派(華厳宗)
華厳宗の寺院です。宗派の教えや成り立ちについて、要点を紹介します。
華厳宗について詳しく見る
華厳宗には宗派として受け継がれてきた教えや歴史があります。寺院ごとに由来・行事・信仰の特色が異なるため、この欄では宗派そのものの概要を紹介します。
この寺院固有の沿革や由来については、上の「ご由緒」と基本情報をご覧ください。