お祓い(神社・寺) 佐賀県

修学院

修学院しゅがくいん
寺院

基本情報

住所
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈1400
建立・改宗
709年
参拝時間
自由

所在地マップ

修学院の宗派(天台宗)

天台宗は、平安時代初期に伝教大師最澄によって日本に開かれた仏教宗派で、滋賀県大津市の比叡山延暦寺を総本山とする。

天台の教えは、中国の天台大師・智顗によって体系化されたもので、『妙法蓮華経(法華経)』を中心として釈迦のさまざまな教えを総合的にとらえることを特徴としている。

日本では最澄以前にも天台関係の典籍が伝えられていたが、日本天台宗を本格的に開いたのが最澄である。

最澄は767年(神護景雲元年)に近江国、現在の滋賀県大津市付近に生まれ、若くして出家した。785年(延暦4年)に東大寺で具足戒を受けた後、比叡山に入り修行を続け、788年(延暦7年)に一乗止観院を建立した。これが後の比叡山延暦寺の始まりとなる。

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804年(延暦23年)、最澄は遣唐使の一員として唐へ渡り、中国の天台山で道邃や行満らから天台教学を学んだ。さらに禅や密教の教えも学び、多くの経典や法具を日本へ持ち帰った。

805年(延暦24年)に帰国した最澄は、『法華経』を中心とする天台の教えを広め、翌806年(延暦25年)1月26日、朝廷から天台宗の僧侶を毎年2名養成することが認められた。天台宗ではこの日を日本天台宗の開宗の日としている。

天台宗では『法華経』の精神に基づき、すべての人が仏となる可能性を持っていると説く。また、特定の一つの修行だけではなく、法華経の教学、坐禅、密教、念仏、戒律などさまざまな仏教の教えと実践を総合的に学ぶことを大きな特徴としている。

最澄はまた、比叡山に大乗仏教独自の戒壇を設けることを願った。当時、正式な僧侶となるためには奈良の戒壇で具足戒を受ける必要があったが、最澄は『法華経』の精神に基づく大乗菩薩戒によって僧侶を育成する制度を構想した。

しかし最澄の存命中には認められず、822年(弘仁13年)6月4日に最澄が亡くなった7日後、比叡山における大乗戒の授戒が朝廷から認められた。その後、比叡山の寺院は「延暦寺」の寺号を与えられ、日本天台宗の中心として発展していった。

最澄の後には、慈覚大師円仁や智証大師円珍らが唐へ渡り、天台教学だけでなく密教などを学んで帰国した。これによって日本の天台密教はさらに発展し、真言宗の密教が「東密」と呼ばれるのに対して、天台宗の密教は「台密」と呼ばれるようになった。

平安時代中期には、第18世天台座主・良源によって比叡山の堂宇や教学が整備され、その弟子である源信は『往生要集』を著した。源信の浄土思想は後世に大きな影響を与え、日本における浄土教発展の重要な流れの一つとなった。

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その後も比叡山は日本有数の仏教教学・修行の中心地として発展し、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮など、後に新たな仏教の流れを築いた多くの僧侶が比叡山で学んだ。このことから比叡山は「日本仏教の母山」とも呼ばれている。

1571年(元亀2年)には織田信長による比叡山焼き討ちによって多くの堂宇を失ったが、その後復興が進められた。江戸時代には天海をはじめとする天台僧が活躍し、江戸の東叡山寛永寺なども天台宗の重要な拠点として発展した。

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現在も天台宗は比叡山延暦寺を総本山とし、『法華経』を中心としながら密教・禅・念仏・戒律などを総合的に学び実践する伝統を受け継いでいる。

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修学院の宗派(天台宗)

天台宗の寺院です。宗派の教えや成り立ちについて、要点を紹介します。

天台宗について詳しく見る

天台宗には宗派として受け継がれてきた教えや歴史があります。寺院ごとに由来・行事・信仰の特色が異なるため、この欄では宗派そのものの概要を紹介します。

この寺院固有の沿革や由来については、上の「ご由緒」と基本情報をご覧ください。

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