お祓い(神社・寺) 千葉県

高家神社

たかべじんじゃ

住所

千葉県南房総市千倉町南朝夷164


詳細情報

参拝時間 自由
社務所/授与所 9:00~17:00
電話番号 settings_phone0470-44-5625
ホームページ https://takabejinja.com/open_in_new
主祭神 磐鹿六雁命、天照皇大神、稲荷大神
創建時期 1620年

高家神社のご由緒

「日本書紀」の第12代景行天皇53年冬10月の条に祭神・磐鹿六雁命について記されていますが、延暦8年(789)に磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されています。景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲び、安房の浮島の宮に行幸された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦をとり海に入れた所堅魚を釣りあげ、また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤(=はまぐり)がとれました。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾にして差し上げたところ、天皇は大いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部を賜りました。この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎのないときは天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜りました。また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院で醤油醸造・調味料の神として祀られています。醤には野菜を発酵させた草醤、穀物を発酵させた穀醤、魚などを発酵させた肉醤があった。今でいう漬物・味噌醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六雁命が料理の祖神とされる由縁です。高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つです。現在の所に祀られたのは江戸時代の初頭にさかのぼります。元和6年(1620)、現在の宮司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像と二面の御神鏡を発見し、社を建てて祀りました。200年余りの後、この鏡面に御食津神、磐鹿六雁命と記されていたことがわかり、当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、文政2年(1819)に京都吉田御所に証を願い、御幣帛をいただきました。神社拝殿内正面の御神号額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長の銘が刻まれています。江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太朗(金銚)氏、料理法大全の石井治兵衞氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅孤軒氏等の労により、祭神の御神徳が発揚され今日に到っています。



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